メディカルトピックス
スティーブ・ジョブズに学ぶ膵がん

2011年10月5日、世界は悲嘆にくれました。Appleのスティーブ・ジョブズが亡くなったからです。彼はMacintoshでパーソナルコンピューターを世に広め、iPodで音楽業界に 新風を吹き込み、iPhoneで携帯電話を再発明し、iPadでポストPCデバイスの道を開きました。またAppleを追われていた際には、Pixarで世界初の長編フルCGアニメを作り映画界にも旋風を起こしました。そんな希代の革命家の死因は、膵がんであったと伝えられています。ガレージで産声を上げた Appleを2011年に時価総額でエクソンを抜いて世界一の企業としたジョブズは、その夏ひっそりと社長職を降り会長になっていました。

ジョブズの病気、体調については2004年頃からメディアでわずかずつではありますが報じられていました。今にして思うとそれらは全て膵がんにまつわる経過だったのですが、一般に膵がんは進行が早く、完治しない限りは経過がこれほど長期に渡ることはありません。2年以内に決着が着くのがほとんどです。それでは何故そのような長期の経過となったのでしょうか?

そこへ行く前に、まずは膵臓についておさらいしましょう。
膵臓は、胃の裏側で十二指腸と接し、背骨の前に存在する長さ15cm程度、厚さ数cm程度の右側が太く左側が細い勾玉様の臓器です。ホルモンを作り血中に分泌(内分泌)し、さらに消化液を作り消化管に分泌(外分泌)する働きがあります。
代表的なホルモンにインシュリンがあります。この出が悪くなると血糖値が下がらなくなり、糖尿病になります。消化液は膵液といいます。膵液は膵内にある膵管という管を通じて十二指腸に分泌される強力な分解酵素ですが、巧妙な仕組みにより自分自身を消化しないようになっています。しかし膵液のうっ滞などによりひとたび自家消化が生じると、時に生命を脅かす急性膵炎を生じる場合があります。

次に、がんとは何でしょうか?がんとは、外界と接する部分(皮膚・消化管粘膜など=外から伝って行けるところ)に 発生する悪性腫瘍です。外界と接しない部分(神経・筋肉など) に発生する悪性腫瘍を肉腫と言います。悪性腫瘍とは、転移する可能性をもつ腫瘍を言います。一般には悪性腫瘍=がんですが、医学的には厳密な使い分けがあります。

では、膵がんとは何でしょうか?一般的な膵がんは、浸潤 性膵管癌と言います。外分泌を行う膵管に出来る悪性腫瘍で、進行するに従い周りに広がって行く(浸潤)という意味です。
そして厚みが数cmしかない膵臓を容易に飛び出し、近くの臓器(胃・血管・神経など)に浸潤していきます。近くの神経に腹腔神経叢と言われるおなかの中の神経の束があります。
また近くに小腸を栄養する動脈や肝臓に向かう門脈という血管があります。これらは体の機能維持のために重要な組織なのでこれを全部取るという訳に行きません。がんの手術の目的はがんを全部取りきるということですが、それが出来なくなります。門脈に浸潤した際にはがんは肝臓に転移してしまいます。また膵管は食べ物の通り道からは奥まった位置にあり、内視鏡といわれるカメラで直接見ることができません。
ですから、膵がんは周囲の重要組織に浸潤しやすく根治手術 が不可能となりやすい、肝臓に転移しやすい、さらに早期発見も困難というやっかいな特徴を持ちます。今のところ、早期発見は超音波やCT、MRIなどの画像診断に頼るしかありません。治療は手術可能であれば全部とることを目指して手術が原則です。手術不能なものや再発に対しては抗がん剤治療を行います。しかしながらたった数cmの大きさでも手遅れとなり得る膵がんは現代医学を持ってしても手強いがんであることは間違いありません。

 

ジョブズの膵がんは幸いにもこのタイプの膵がんではありませんでした。膵臓の内分泌ホルモンを産生する細胞(膵島 細胞)から発生した神経内分泌腫瘍と言われるものでした。 このタイプの腫瘍はめずらしく、進行も遅い傾向があります。
有名な2005年のStanford大学卒業式の動画で、診断した医師達が嬉しくて“泣いた”という下りはそういう訳です。

内分泌腫瘍の特徴として、血液に乗って肝転移しやすいのですが、肝転移しても進行が遅いためにその転移した肝臓を全部取り替える肝移植の適応となることがあります。肝転移に対して肝移植が適応になることはほとんどないですが、まれな例外の一つです。ジョブズは2003年に発病し、2004年に摘出手術を受け、2009年に再発した肝転移の治療として肝移植を受けていたと報道されています。そして2011年体調不良で休養を公表した時は、ホルモンバランスの崩れということでした。これも内分泌腫瘍であったことと矛盾しません。治療経過が長期にわたったのも進行の遅い内分泌腫瘍であったからこそです。

ジョブズは膵がんが見つかったあと、治療をすぐ開始しませんでした。9ヶ月間周囲の説得にも関わらず特殊な食餌療法で治そうとしました。たらればですが、非常に悔やまれます。膵がんは背部痛などの症状が出た時には既に相当進行していることが多いです。皆様は是非定期的に検診をお受けになり、また問題が指摘された際には早めに対処をしましょう。 ジョブズの闘病から得られる一つの教訓だと思います。

外科部長 小島 健司
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